中学時代

中学時代。




人生でもっと楽しい時代でよかったかも
しれないが、私にとってあまり良くない
記憶の多い時間であった。



中学に上がったときには塾に通っていた
こともあり、可もなく不可もない出来でした。



スポンサーリンク




中学1年のとき

部活動について

中学に入ると必ず部活動をやらなくては
いけなかった。



私の入りたかった部活動は野球、もしくは
サッカーでした。


どちらも希望人数が多く、野球を選択し
入部試験を受けました。




結果は不合格!




体育系の部活動は残りが水泳部しかなく、
泣く泣く水泳部に入ることになりました。

水泳部


水泳部では特に上下関係は強くはなかった
ものの、あまり上級生と練習をした覚えが
ない(笑)


夏休みが終わるくらいまでは比較的、真面目
に練習に行っていたと思います。


朝、起きるのはとてもつらかったですが・・・


種目はフリーをやっていましたが、
身長が低いにもかかわらず、短距離を
やっていたのであまり泳ぐのが速いとは
言えない選手でした。

ランニング


秋に入り、プールが使えずランニングなど
の練習になったときから朝の練習に行かなく
なるようなことが多くなりました。


顧問の先生にひどく叱られて、
やめてしまってもいいと言われましたが、
同級生の友人に連れられて、後日、謝りに
行き再び部活動をすることになりました。



とは言っても朝の練習には度々、参加して
いませんでした。


マラソン大会の当日も、朝、早く起きられず
部活を欠席。


グラウンドを出るまでは先生が見ていると
思い、体調が悪いことを装いビリで出発。


その後、出来る限り速いペースで走り約70位
で完走しました。
(男子のみで200名以上は参加)


50位以下だと尻たたきの罰があり、何度か
叩かれました。
(いまだと体罰で問題になりますね)


どんなに記憶をたどっても、秋以降に先輩と
一緒に練習した記憶がない!!!


同級生と一緒に走ったり、鉄棒で懸垂した思い出
しかない。

授業時や生活について

学校はとてもクラスが多いところでした。
私の学年で10クラス!



なので、少なく見積もっても450名くらい
は1学年にいたようです。

自転車通学


中学までは直線距離では近いものの、
通学路が遠回りのコースしかなく自転車通学。
20分くらいは掛かっていたと思います。


学校での成績は社会と理科、体育が4~5を
取っていた以外はすべて3だったと思います。


3と言っても、国語・英語は苦手で出来た覚えが
まったくありません(笑)


授業中は一応、大人しくしていたのかなぁ・・・


ただね、なんかイライラしていたことが多かった
のかもしれません。



隣の席?前だったりしたかもしれないですが、
ちょっかいをかけられて、思いっきり怒って
スリッパ投げてたり(爆)


病気の子には、弱気になるなとか何か結構ひどい
ことを言っていました。


その時期、キャプテン翼ってアニメがやっていて
心臓病の子がエースとしてやっていて、そんな
ことが影響してそんな馬鹿なことを言っていました。


テレビって怖いですよね!
(そのときは、そんな色眼鏡をかけていた訳です)

スポンサーリンク



中学2年のとき

部活動について

水泳部に小学生のときにいじめた子がなぜか
入ってきました。


とは言っても泳いでいるときは声をかけられない
ので直接的に何かするとかはなかったです。
彼はどんな風に思っていたのかは分かりません・・・


少し汚い話ですが、

素足


上級生がよく足の裏をぼりぼりと搔いていたん
ですよね。




水虫で!




そんなときに左足の小指の爪がもげてしまい
爪水虫になってしまいました。



それはともかく、水泳部・部員としての成績は
まったく良くなかったです。


顧問の先生も変わり、1年のときよりは厳しく
なくなったがどうしてもやる気がでません。

授業時や生活について

担任の先生とはあまり波長が合いませんでした。


なぜか?


彼の一言目に出てくることは

一番

『一番になれ!』



でした。


私にとって、その言葉しか聞こえませんでした。
彼の話したことからは。


クラス対抗であったり、学業での成績であったり
なんでも一番になれって聞こえていました。


なにかとてもプレッシャーに感じてしまいました。



すべて一番になれる訳ないよね~って
思っていました。

体育の授業で手首を傷める

バレーボール
春先の授業はバレーボールでした。


部活でも水泳の練習は5月のゴールデンウィーク
には始まっていました。


体育の時間が1時間目か2時間目でバレーボールを
していてサーブを打ったり、レシーブをしていたり
で手首に違和感を感じるようになりました。


授業を何回も受けていると、手首(特に右)の痛み
がどんどん増していき、先生と相談して病院へ
行くことになりました。



特に腫れていたわけではありませんが、そのときは
関節炎ということで飲み薬とシップをもらって
帰りました。

薬


薬を飲んでいても部活動での練習時、飛び込んだ
ときには痛みで手をとられ、手を前にキープすること
すら出来ませんでした。


そんな状態なので手で水を搔くこともできません。


夏休み前になっても痛みは引くどころか、どんどん
痛みが強くなっていきます。


別の整形外科にも行ってみましたが関節炎という診断
に変わりはありませんでした。

関節炎ではないことが判明
若年性関節リウマチに・・・
(若年性特発性関節炎)



保護者面談のとき、担任の先生と母で長引く
関節炎のことで話になり、自宅から一番近い
市民病院へ行くことになりました。



正直、初めて市民病院へ行ったときのことは
覚えていません。


覚えているのは、夏休み中に2週間程度入院した
ことだけです。


そのときに整形外科の先生に言われたことだけは
間違いありません。


若年性関節リウマチだと・・・


リウマチって何?


何かの看板にリウマチって書いてあるのは見たこと
はあるけど何のことか分からない。


若年性とあるので子供がかかる病気なんだろうけど
なんで?

レントゲン


夏休みの入院中もベッドの上で寝ているだけで、
薬を飲まされたり、レントゲンなどの検査をしたり。


ある日は、胃に激痛が走りのた打ち回り看護婦さんに
座薬を入れてもらい、気付いたら寝てしまっていた
こともありました。


若年性関節リウマチということもあり、整形外科の
先生たちもどのように対処していいのか苦慮していた
ようでした。



夏休みが終わる頃に一旦、退院することになりました。

スポンサーリンク



再び入院へ

二学期が始まってすぐに、同じ病院の小児科へ移る
ことになりました。


たぶん、今の医療技術で言えばそんなことはないと
思いますが、なぜかそのようなことになってしまい
ました。


そのようになった理由として、
若年性関節リウマチが悪化した場合、


リウマチ熱や心臓弁膜症になる恐れがあると
言われました。

心臓


リウマチ熱や心臓弁膜症になったときに整形外科では
対処ができないから小児科に移されたのだと
思われます。


小児科の先生に言われたことは上記のこと以外で
覚えていることは安静にしていなさいということと
若年性関節リウマチは絶対治らないと
言われたことだけです。



院内学級への転校手続きが終わった時点で、
再度入院することになりました。

院内学級


院内学級は病院内にある学校です。


私が市民病院へ入院したときには、もう一人、
小学生が勉強をしていました。



入院中にやっていたことは

食べて

寝て

院内学級で勉強する



ことが基本だと思いますが、ほとんど覚えて
いません。


安静にしていないといけないということで
ベッドの上以外は行動が制限されていました。


ほぼ、毎日のようにおばあちゃんが自転車で
お見舞いに来てくれていました。


安静にしていたことと、気持ち的に落ち込んで
いたためか、痛みはあまりなかったと思います。
入院時に痛みを感じていたことの記憶がないのです。


病棟は四階だったので、夕方になると良く
遠くを眺めていました。

夕日


トンビが結構、飛んでいました。


あと、同じ病室の糖尿病の男の子(1歳半)
と遊んでいました。


週末には同級生の何人かがお見舞いに来て
くれました。お見舞いにもって来てくれた
おやつなどはいつも食べられず、さみしい
思いをしていました。



リハビリはなぜかしていません


実は入院中、リハビリをまったく受けて
いませんでした。


理由は分かりません。


普通はという言い方は変かもしれませんが、
若年性関節リウマチであれ、関節リウマチであれ
痛みがあれば可動域を維持するためのリハビリ
をやってもおかしくないと思います。


リハビリをやったほうがいいようなことを
主治医は言っていたそうですが(母の記憶では)
私の耳にはまったく入っていません。



若年性関節リウマチになったことで、
周りの現実を正しく受け入れることができて
いなかったように思います。


高校になったら、野球かサッカーをやりたい
と思っていましたから。
3ヶ月近くの入院からの開放


記憶は定かではありませんが、11月くらい
には退院をすることになりました。


大きな理由の一つには院内学級では、
学習スピードが遅くて、正規の学校に戻った
場合に遅れてしまうということでした。



ちなみに先生は一人だけで国語の先生
でした。


どうしても国語以外の教科が疎かになって
しまいました。こればっかりはしょうがない
ですよね。

やっと退院

退院してから、今までと違った現実を受け入れ
ていかなくてはいけませんでした。



自転車通学 → 親に送り迎えをしてもらう



退院後、2度ほど自転車で学校まで
行ってみました。


それも自分が体調がいいなぁと思ったときです。


ところが、入院期間で体力も衰えていたのと
自転車のハンドルから伝わる衝撃が手首に伝わり
痛みで思うように走れなくなっていました。



それ以降は2度と自転車通学をしませんでした。


退院した時期もあまりよくなく、冬に向かっていく
ときでした。自宅は南側に障害物があり日当たりが
悪く、冬の時期、部屋はとても寒くなりました。

冬の朝


特に朝は痛みが強く、足首も痛くなるので
立って歩くことができず、足首が温まり
痛みが引くまではひざで歩くか、お尻を引きずり
ながら移動していました。



当然、立てるようになるまでは学校へ行けません。


1日お休みすることはなくても、1時間目、
2時間目まで休むことはかなりありました。

寂しい


あと、クラスメイトが普通に自転車通学や
徒歩での通学している中、親に送り迎えを
してもらっていることに後ろめたさを感じて
いました。無力感のようなものもありました。



学業のほうは、なんとかついていけましたが
体育はもちろん1、他の教科でも2をつけて
いるものもありました。

中学3年になり

発病から処方される薬は色々と変わりました。
今となってはどんな薬を飲んでいたかほとんど
分かりません。


もちろん消炎鎮痛剤でしたが、座薬、飲み薬、
名前が分かるものはバファリンぐらいですね。


体調のほうは若干落ち着いたものの、2時間目
くらいまでは休むときが多かったです。



クラスメイトは若年性関節リウマチになって
いることは理解してくれていて、気を使って
くれる子もいました。

階段を下りる


荷物を持ってくれたり、階段を下りるときに
手伝ってくれたりとかではないですが(笑)


関節リウマチにだと右手首に痛みが出れば
左手首にも痛みが出てくる、いわゆる
対称性の痛みが顕著に見られるように
なりました。

左手で書く


右手首が使えないため、左手で箸を使ったり
ものを書いたりして、左手首もだんだん痛めて
しまいました。



足首の場合は、ほぼ同時に両足首を痛めてしまい
ました。


階段を下りるときが特に大変で、体重をかける
運動をするときに痛みが走るので、かかとの周辺
だけ階段において降りるような危険な下り方を
していました。


この時期になると、両手首・両足首とも関節の
可動域に制限がかかるようになりました。


いわゆる関節が固まってしまった状態です。


いま考えれば、そうなってしまっても当然だと
思います。

リハビリ


手首、足首が痛い状態でほとんど動かさず、
ましてやリハビリも受けることがなかったので
どんどん動かなくなってしまってもしょうがない
です。


中学時代を振り返って

中学生

中学に入り環境の変化、自分のやりたいことが
出来ないつらさや苛立ちをかかえ、
若年性関節リウマチになってしまいました。


思春期で反抗期のときに、自分の中では挫折続き
最終的には病にかかってしまいました。


若年性リウマチになった後も、いま考えれば
多くのことを遣り残してしまったように
思えます。



時は帰ってきませんが、もしこのブログを読んで
くれたあなたにとって役に立てることがあれば
幸いです。


ありがとうございました。

もし、時間に余裕があれば
ぜひ下記の記事もあわせて読んでください。

若年性関節リウマチになる前の自分について

若年性関節リウマチも落ち着いた高校時代

スポンサーリンク



もし記事が面白かったり、役に立ったりしたら
↓ ブログランキングの応援クリックをお願いします♪


健康と医療 ブログランキングへ

にほんブログ村 病気ブログ リウマチへ
にほんブログ村

>>免責事項