高校時代

高校時代は精神的にも
若年性関節リウマチ的にも?!


かなり落ち着いていて、
正直、あまり記憶にございません(笑)



高校受験も体育が1というのが響いて、
自分の志望高校へは進めませんでした。


精神的なストレスも入学時にかなり強く
感じたものの、学年が上がるにつれて
落ち着いていきました。



こちらは目次です。

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大きなストレス



それは入学時に起きました。
入学時というよりも、入学式が終わった直後
に起きたんです!


入学式後、クラスのほうに移動し
どのように通学しているのかを口頭で先生に
聴かれました。



「徒歩で通学の人?」

「自転車で通学の人?」


自転車通学


「お前(私のこと)はどうやって通学するの?
自動車で送り迎え?そんなに遠かったか???」



って言われたんですね。


内申書には若年性関節リウマチのことは
書いてあるはずなので、クラス全員の前で
そんなこと聞かなくてもいいのに!

って思いました。

寂しい


同じ中学からきた子もクラスにはいなく
(他のクラスにはいましたが多くはありません)
自動車で送り迎えをしてもらっていること
で、何か孤独感のようなものを味わいました。


健康であれば自転車通学できる距離でしたので。


もちろん、送り迎えをしてもらったほうが
時間的にはものすごく短縮できますが、
そんなことは高校時代に感じたことはありません。

悟りの境地


とはいえ、そんな先生ばかりだと思って
入学式後のホームルーム以降は、
先生などいい意味で当てにしない
ような考え方になりました。



逆に反抗的な目で見つつも、その気持ちを言葉に
することはしませんでした。

体調面について

痛みも自分の頭の中で予想できるので、
これくらいの痛みなら大丈夫とか、休んだほうが
いいとか考えられる余裕が出てきました。



もちろん、両手首、足首の変形は治りません。



たとえば、腕立て伏せをするような手のひらを
地面につけるような動きとかは出来なくなって
いました。


足首のほうも、前傾姿勢をするのに
若干の抵抗がありました。
そのため、階段を下りるとき
急な斜面を上がるときは大変でした。


体育のときも、自分ができる範囲で
参加していました。



たとえば、野球のクラスの時にはピッチャー
をやらせてもらいました。

野球


距離は若干、近くにしてもらいながら(笑)

長い距離を走るようなことがなければ、
関節に痛みもなかったですから。



もちろん、バレーはやりませんでしたよ。
あと、柔道や水泳も見学のみでした。

柔道


夏の暑い日なんかは、プールで泳げたら
いいなぁと感じていました。


中学時代に水泳部で泳いでいたことが少し
懐かしく感じたりしました。

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孤独感に苛まれることも

1年のときは、クラスメイトとも
あまり仲良くなく、
ましてや登下校時に一緒に帰るわけでも
ないので話す機会がおのずと少なくなります。


自宅が寒いこともあり、風邪をよく引いて
しまい、お風呂に入ることが出来ず
(風呂場が北にありコンクリート作りでもっと寒かった)
頭が汚かったり、ひょっとしたら臭かった
かもしれません。

風邪を引く


クラスの女子生徒から、
気持ち悪いとか汚いとか
(はっきりとしたことは聞こえませんでした)
言われたりすることもありました。


視線は冷たいものでした。


そのときはそのように感じてしまい
落ち込んだりしました。



クラスの中には腎臓の悪い子もいて
なぜかクラスメイトにいじめられていて
同じようになってしまわないか、
とても怖いような気持ちを感じていました。


2年になると私立理系クラスに行くことで
女子生徒もいなくなり、男子だけのクラスメイト
で気分的にも楽になったし、ほとんどの
クラスメイトは気のいい人ばかりでした。



特に仲良くなった子も3人くらいは出来たので
孤独感を感じるようなことは少しずつ
なくなっていきました。

仲のいい3人組


クラスメイトは若年性関節リウマチのこと自体は
理解していなくても、そんなことの気にせず
付き合ってくれていました。

学業面では

教室

特別出来ることはなく、中学時代と同じように
午前中の授業を休むことが多く、国語の単位
を1年のときに落としそうになって、追加課題を
出さなくてはいけなかっただけで、
それ以外の教科はなんとか3くらいで
通過できました。


部活動も一応、数学部に所属していたものの
ほとんど行くこともなく、完全な幽霊部員
でした。


手首が痛くて勉強に支障が出るようなことも
ありませんでしたが、あまり勉強はしていな
かったですね(笑)


受験に関しても、学校の先生からは志望校
に合格するのは無理だと言われていましたが、
第二希望くらいには引っかかってくれたので
精神的なストレスも感じていませんでした。

勉強

どちらにしても、勉強に集中していた訳では
ありませんでしたね。

通院や投薬について

30年近く前のことでほとんど覚えていませんがw
定期的に通ってはいたものの、もらってきていた
薬を医師の言われたとおり、毎日飲んでは
いませんでした。

薬



中学時代に入院したときの、胃の痛みのことがあり
薬はあまり飲みたくないと思っていたのと、母親
も薬を飲ませたくないと思っていたので
関節に痛みが出ていないときは極力飲まないように
しました。



痛みがあれば当然、薬を飲んでいました。



ただ若年性関節リウマチであることが分かった後の
薬を飲む頻度と比べると、かなり減っていました。


通院に関しても、まったくといっていいほど
覚えていません。


診察を待っている間、小さな男の子になぜか
ビンタをされたこと以外、
覚えていません(笑)

当然のことですが、血液検査も受けていたはず
ですが、結果が悪くて主治医から何か言われた
ことも覚えていないので体調面でもかなり
落ち着いていたと思います。

血液検査

高校時代を振り返って



入学時には環境の変化、担任の先生の無理解から
くるストレスはあったものの、高校での環境に
なんとか順応できました。


若年性関節リウマチの進行はほとんどなく、
ひょっとしたらこの段階で自分の気持ちの持ち方
次第で、完治できたタイミングなのかもしれません。



現在このようなことを書いているので、
リウマチの完治には至っていないわけですが・・・



リウマチが原因で関節の変形が、中学時代に進行
してしまった状態で止まっていてくれていたことも
精神的に落ち着いていられた要因だと考えています。


次回は、大学時代について書いていきたいと思って
います。


今回もありがとうございました。


まだお時間がありましたら、下記の記事もぜひ読んでみてください。

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